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Dr.ヤマゴンの「歩いて、食べて、“しっかり”」メタボ解消

 医師でありながら、メタボリックシンドロームの「疑い濃厚」と自ら認めるDr.ヤマゴンこと新潟県福祉保健部副部長 山﨑 理(やまざきおさむ)が、「体重、ウエストを2ケタにする!」という目標を掲げ、平成19年9月より自身の取組をブログに綴って参りました。
 今後も引き続きメタボ解消を目指し取り組んでいきます。
「しっかり歩いて、しっかり食べる。」これを楽しく続けることに重点を置き、様々なテーマ、切り口でお送りいたします。ご期待ください!

Dr.ヤマゴン
〔キャラクター制作〕
日本アニメ・マンガ専門学校
コミックイラスト科 川瀬雅奈未さん
Data of "Yamagon"
身長:180.0cm  体重:110.3kg  ウエスト:102.0cm
(H26.7.21現在)
モットー
無理せず、ほどほどに。日常の小さな心がけの積み重ねでメタボリックシンドロームは解消できる。継続することが大事。
心がけること
“快食・快眠・快便”のリズムを作る。そのために、
  1. よく噛んで食べる(一口30回)
  2. ヨーグルトと果物を食べる(毎日1回朝食後)
  3. 汗をかく(ラグビーをする、歩く)
  4. 残業しない(家で夕食を食べたいから)
  5. 無理しない(あまり「禁欲的」になり過ぎない)
継続目標
体重、ウエストを2ケタ(体重99.9kg、ウエスト99cm)にする。

※新潟県のメタボリックシンドロームに関するページはこちら!→健康にいがた21

「ヤマゴンブログ17-04」 再会、「ゴールデンウミネコ」!

2017年9月28日木曜日 by 管理者
9月24日のデータ  体重110.5kg  腹囲102.0cm

 前回の続きです。7月下旬、宮城県の秋保温泉で同級生の教授就任祝賀会に出席し、翌日、その足で女川に行きました。
 まずは女川の地域医療センター(旧;町立病院)を見よう、でも院長のS先生(同級生)はまだ祝賀会の後片付けで秋保に残ってる、まあ、病院の周辺がどんなふうになってるか、とりあえず見てみよう、という感じで立ち寄ったところ、駐車場でバッタリ…、誰?あっ!!「ゴールデンウミネコ」さんじゃあないですか!!まさに劇的な再会でした。

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写真① 写真② 写真③(2012年)

 「ゴールデンウミネコ」さんの正体は、過去のブログ(2013-08)(2014-06)でも紹介した「おちゃっこクラブ」という地域の寄り合いの場(写真①)を開いている、岡さんという方です。過去に(2013-09)紹介しましたが、画像では初登場ですね(写真②)。岡さんはちょうどこれから石巻に出かけるところだったそうで、まあ本当にグッドタイミングでした。
 そもそも「ゴールデンウミネコ」とは、女川のご当地ヒーロー「イーガー」のDVDに出てくるキャラクターの名前ですが、これは岡さん本人が扮しています。ほとんど地のままの役というか…、神様のようでもあり、宇宙人のようでもある?不思議なキャラクターです。
 岡さんは、震災が起こるまで「ダイヤモンドヘッド」(このネーミングも、まさにベンチャーズを連想させるというか…)という名前の飲み屋を開いていました。写真が残っていなくて残念ですが、レトロ風の、和洋折衷のような店内を記憶しています。このお店は津波で流されてしまいました。
 ブログ(2013-08)に平成23年1月の女川の写真を載せていますが、ちょうど、その写真を撮影した日の前の晩、ダイヤモンドヘッドへS先生と一緒に行き、そこで、「次の5月に熊谷でセブンズ(7人制ラグビー)の大会があるから、一緒に出ましょうよ」と約束をして…、そして震災が起こった!
 その時の約束は、一年後にようやく果たされました。せっかくですので、岡さんの勇姿(写真③)を紹介しましょう。長い髪をなびかせ(?)疾走する選手が岡さんで、後ろを追いかけているのはS先生です。
 震災が起こる前、女川町には小高い山の上に町立の総合運動公園があり、そこにラグビーのできるグラウンドもありました(写真④;2008年撮影)。震災後、グラウンドのところに仮設住宅が造られ、駐車場が整備されました(写真⑤;2013年撮影)。今回訪れると、さらに整備が進んで鉄筋の集合住宅になっていました(写真⑥)。なお、写真⑤と⑥のそれぞれ左端にあるカマボコ型の建物は体育館で、写真④のアングルからだと、ちょうど90度左を向いた方向に位置します。

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写真④(2008年) 写真⑤(2013年) 写真⑥

 女川町の街並みは、震災の2年後、瓦礫が片付けられ更地になった時の写真(⑦)とは全く様子が変わり、立派な駅舎(写真⑧)が造られ、駅前広場もきれいに整備されました(写真⑨)。駅のホームは、写真(⑩)ではわかりにくいですが、終点なので、線路がここまででストップしています。
 一番大きく変わったのが、線路のコース取りです。レールや枕木が津波で流された多くの箇所で、コースが変更されていました。女川駅で言えば、駅の場所は同じなのですが、以前は海沿いに線路が走り、町に入って山側に向かってカーブし終点、だったのが、今は逆に、線路が山側から海に向かってカーブして終点、となっています。

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写真⑦(2013年) 写真⑧
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写真⑨ 写真⑩

 話は前後しますが、女川に赴く途中、JR仙石線の陸前富山(りくぜんとみやま)駅と野蒜(のびる)駅に立ち寄りました。
 陸前富山駅は、松島から北へ少し行ったところの小さな駅です。2013年にはまだ線路が流されたままになっていて(写真⑪)、駅舎は閉鎖され、踏切のところに鉄板が敷かれていました。しかし、今回訪れてみたところ、ちょうど列車が到着し、乗客が大勢降りてきたところを写真に収めることができました(写真⑫⑬)。

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写真⑪(2013年) 写真⑫ 写真⑬

 野蒜駅は、陸前富山からさらに北へ行ったところで、震災の時には、列車が立ち往生して、乗客の安否が翌朝までわからずニュースにも取り上げられた駅です。2013年にはこの駅も線路が流されたままで、わずかにここが駅だったのか、という痕跡程度の建物や架線の残骸が残るだけでした(写真⑭⑮)が、今回訪れてみると、女川とは違い、以前の駅の場所ではなく、かなり山の方に入ったところに、これまた立派な駅が造られ(写真⑯~⑱)、そればかりか、新しい街が造られつつあるところでした。

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写真⑭(2013年) 写真⑮(2013年)
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写真⑯ 写真⑰ 写真⑱

 それぞれ形は違えども、着実に復興の道を歩んでいることが感じられました。一方で、野蒜の海岸周辺は、震災そして津波のために、松林や周辺の建物が何もなくなってしまって(写真⑲)、今回訪れた時もそう変わっておらず、むしろ雑草が生い茂っただけの変化を感じました。建物や道路を造るのと違い、自然環境を取り戻すことはなかなか困難です。野蒜はまさにそういう状況と思われます。なので、今回は写真を撮影せず、あえて昔の写真(⑳)を最後に載せました。野蒜海岸での地引き網の風景です。この風景をいつか取り戻したい、と、きっと皆さんが思っていることでしょう。

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写真⑲(2013年) 写真⑳(2007年)

 今回、「ゴールデンウミネコ」さんと再開できたことは本当にラッキーで、もし数分違っていれば会えなかったはずです。きっと神様のお引き合わせでしょう。お出かけ前の忙しい中であるにもかかわらず、一緒に写真に写ってくれた岡さん、シャッターを押してくださった奥様に、心から感謝申し上げます。今回は早々に失礼いたしましたが、次回訪れた時は、ゆっくりコーヒーをいただきたいと思います。

「ヤマゴンブログ17-03」 おめでたい

2017年8月30日水曜日 by 管理者
8月27日のデータ  体重110.4kg  腹囲102.0cm

 月日の流れるのは早いもので、もう8月です。しかも、朝晩がめっきり涼しくなりました。しかし今年の夏はおかしい!暑かったことは暑かったけれど、何かおかしい。台風の影響などもあって、概して湿度は高いですね。夜、寝るときに冷房をつけるのはよくない、と思っていた私も、28度設定で快適に眠れることがわかり、だんだん軟弱になっている?いや、そんなことはない、やはり自然の変化には勝てないのだ、・・・さて、どうなのでしょうか?
 6月から7月にかけて、いろいろとおめでたいことが続きました。と言っても私個人の話ではありません。まず、新潟市内の看護師養成施設の竣工祝賀会(写真①)に始まり、新潟大学医学部の教室の50周年、100周年(写真②③)と、まさにお祝い事というのは、続くときには続くものだなと思いました。(しかも①と②は同じ日の昼と夕方でした。)

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写真① 写真② 写真③

 一口に50年、100年と言いますが、歴史を積み重ねるということは、とても重要で、かつ難しいことです。2017-01でも書きました、新潟大学医学部と順天堂大学医学部のラグビーの定期戦60年とも併せ、あらためて新潟大学という大学の歴史・伝統を感じました。

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写真④ 写真⑤ 写真⑥

 7月に入り、骨髄バンクボランティア団体の知事要望がありました(写真④~⑥)。前の知事の時にも要望においでになった方々でしたが、知事が交代したということで、今回あらためて要望にお越しになりました。新潟県では、全国の中でもいち早くボランティア団体が立ち上がり、会組織の変遷を経て、今日まで熱心に取り組んでこられました。お気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、写真④には団体の方々とともに、県議の姿も見えます。党会派の垣根を越えて、骨髄バンクの活動を支援してくださっています。

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写真⑦ 写真⑧
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写真⑨

 7月の大きな話題は、やはりラグビーです。第24回全国ドクターズラグビー大会が新潟で開催されました。この大会は2年ごとに開催され、4年に一度の日本医学会総会の年は総会に合わせて、それ以外の年は様々な時期に行われます。新潟では平成9年5月の第15回大会以来20年ぶり、2回目の新潟開催となりました。
 第1回大会は昭和38年ということで、何と、私の生まれた年ではないですか!ここにも歴史の深さを感じます。また、お気づきになったかもしれませんが、15回大会から24回大会で20年、回数と年数が合わない。これは、平成23年に東日本大震災で開催を見送ったことがあったためです。
 当日は熱く、暑く、熱中症の危険も大きい状況の中、ウォーターブレイクを頻回に入れながら試合が行われ、ヤマゴンは2試合に出場しました(写真⑦右端)。日曜日の開催で、翌日は仕事というドクターも数多い中ではありましたが、けが人が1人だけ、敵と衝突した際に腕を骨折した方がおられました。しかし、「整形、整形!」と声がかかると、素晴らしい早さで整形外科医が駆けつけ、救急車が手配され、その方は当日中に手術まで終えて、無事お帰りになったとのことです。
 試合が終わるとノーサイド(写真⑧⑨)、敵味方なく、健闘をたたえ合い、夜の懇親会へと進みます。無事、盛況のうちに幕を閉じました。主催者側の御苦労にただ、頭が下がります。本当に、ありがとうございました。

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写真⑩

 最後の話題です。私の自治医大の同級生が、このたびある大学の教授に就任し、祝賀会が宮城県の秋保温泉で開かれました。何人か、同級生で教授になった人はいますが、このたびはラグビー部の同級生ということで、感慨は特別です。
 これも主催者(幹事)の御苦労が大きなところです。以前このブログで紹介した、宮城県女川町医療センターの院長(彼もラグビー部同級生)が、幹事を務めてくれました。おかげで、卒業後初めて、ラグビー部の同級生全員が揃うことができました。もちろんラグビー部以外の同級生とも、旧交を温め、次はいついつの機会に会おう、と話して、別れました。
 様々なエピソードを掲載したことで、一つ一つの話題に深く踏み込めなかったことを申し訳なく思っております。これだけ多くの、人と人とのつながりのおかげで、仕事もそうですし、ラグビーもまだまだ続けていけるのだなと、あらためて実感しているところです。
 で、せっかく宮城県まで行ったわけなので、やはり気になるのは、被災地の復興の状況です。休日でもあり、少し足を延ばして、女川まで赴きました。そこで、ある人との劇的な再会がありました。・・・という話を、次回は書きたいと思います。

「ヤマゴンブログ17-02」 ヤマゴン、今年も「糸魚川を歩く」

2017年6月15日木曜日 by 管理者
6月11日のデータ  体重110.2kg  腹囲102.0cm

 毎年、この時期になると、糸魚川に歩きに行くのですが、なぜ糸魚川なの?といろいろな人から尋ねられます。考え始めると、理由はいろいろあるのですが、やはり自然の中で、それも海と山とに挟まれながら歩くと、うまく言葉に表せない、心地よい感覚に包まれるから、といったところでしょうか。今回は、糸魚川から電車で有間川という駅まで移動して、そこから糸魚川に向かって歩こうという計画です。

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写真① 写真② 写真③

 さてヤマゴンは糸魚川駅の近くの駐車場に車を置き、いざ、電車に乗り込みます。昔と違って、新幹線が通るようになり、駅の改札も様変わりしました(写真①~③)。これから乗る電車は、新幹線でなく、えちごトキめき鉄道、「トキ鉄」です。

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写真④ 写真⑤ 写真⑥

 有間川駅に到着し、一緒に歩いていただく方々と合流しました(写真④)。糸魚川市役所から3人、糸魚川地域振興局健康福祉部から3人、合計7人でチャレンジです。今年初めてご一緒する方、一昨年ご一緒した方、さらにその2年前にもご一緒した方、新旧様々な顔ぶれです。
 午前9時30分ころ有間川をスタートし、最初の休憩をとる名立まで、一気に歩きます。写真⑤は小さく、見えにくくて恐縮ですが、ここから「名立区」であることを示した看板が写っています。今は上越市名立区ですが、合併する前は西頸城郡名立町で、糸魚川保健所の管轄だったことを、懐かしく思い出しました。このあたりでは、ケータイのカメラを向けると手を振ってくれるほど、まだまだ皆さん元気です(写真⑥)。

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写真⑦ 写真⑧ 写真⑨

 間もなく最初の休憩地点、というところで、少しスローペースになりました(写真⑦)。飲み物やアイスなどで水分を補って、また出発です。
 この日の天候は快晴で、風もほとんどなく、徐々に暑さが気になり始めました。海岸では、ゴミ拾いを行っている方々がいらっしゃいました(写真⑧)。だんだん、海の行楽のシーズンが近づいているのですね。
 皆さん、とても元気で、どんどん先に行ってしまいます(写真⑨)が、ペース配分は大丈夫でしょうか!?

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写真⑩ 写真⑪ 写真⑫

 今回は通算4回目ですが、4回目ともなりますと、歩いていて、これまで気づかなかったいろいろなものが目に入ります。
 写真⑩は昔の北陸線の橋げたでしょうか。いにしえの風情が感じられます。
 写真⑪の道路標示は、今回発見しましたが、たしか前回はなかったような・・・。この道、通称「久比岐自転車歩行者道」を略して、「久比岐自歩道」と書いてありますが、正式には「新潟県道542号上越糸魚川自転車道線」で、なんと、県道だったのです!
 写真⑫は、・・・これは本当に、今回初めて気づきました。これも写真が小さく恐縮ですが、石碑には「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」という文字が書かれているようです。どういう意味かは、皆さん、お調べください。

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写真⑬ 写真⑭ 写真⑮

 能生の町中にある食堂に、ぎりぎり午後1時に滑り込んでお昼をいただきました(写真⑬)。かなり気温が上がってきていたので、冷やし中華を注文する人もいましたが、ヤマゴンは、後半に備えてホルモン定食をガッツリといただきました。とはいえ、糸魚川の自転車道起点まで8キロの表示(写真⑭)です。「あともうちょっと!」のはずですが、皆さん、やはり足腰にかなり疲れが出てきたのか、足取りが徐々に重くなってきました(写真⑮)。いよいよ最後の踏ん張りどころ。あとはなんとか流れに乗って歩くだけです。

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写真⑯ 写真⑰

 午後3時53分、ゴール地点の「自転車道起点」に到着です。一昨年のように、のぼり旗を振りながらゴールテープを切る、という演出こそありませんが、皆さん、余裕を持ってゴールに着いた印象がありました。しかも今回は7人全員が、最初から最後まで歩き通したわけです。(写真⑯と⑰は、交代で写真を撮っていただいたため、それぞれ6人ずつになっています。)
 今回はかなり暑かったのですが、前に一度歩いたことがある、という人が何人かいらっしゃって、ペース配分や休憩場所などが感覚的にわかっていることも、幸いしたのかもしれません。「また来年も歩きましょう」と挨拶を交わし、糸魚川を後に・・・ではなく、その日の夜は一泊して懇親を深め、翌日、糸魚川を後にしました。
 皆さん、本当にありがとうございました!!

 

「ヤマゴンブログ17-01」 新潟ロードレースと順天堂戦

2017年5月18日木曜日 by 管理者
5月14日のデータ  体重109.7kg  腹囲102.0cm

 

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写真①

 のっけから、この写真はいったい何?そう、“Pen-Pineapple-Apple-Pen(PPAP)”です。もはや遠い昔のネタになってしまいましたね。1月から、ずいぶんと長い間、更新が滞っており、その間に、年度も変わってしまいました。
 ヤマゴンブログはもう終わったのか!?という声もちらほらと聞かれる中で、しぶとく今年度も続けて行くことになりました。今年度は(毎年このようなことを書いてますが)、小刻みに、更新を心掛けたいと思います。どうか引き続きよろしくお願いいたします。

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写真②

 私にとって、毎年、4月のイベントは2つあり、一つが新潟ロードレース大会、もう一つがラグビーの順天堂戦です。ロードレース大会当日、スタート地点の新潟市陸上競技場の桜は満開でした(写真②)。
 レースは午前8時45分スタートです。今年はコースが少し変わって、信濃川の左岸をメインに走るコースになっています。過去2年、ペース配分に失敗して、後半に失速したヤマゴンは、今年こそはペースをきちんと守ろうと、スロースタートで入ることを心に決めました。

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写真③ 写真④ 写真⑤

 天候は快晴、コンディションも上々です。競技場の熱気もピークに達し、さあ、出発!!(写真③~⑤)…と、ここまで書いておいて、さぞかし調子よく走ったことだろうと期待させておきながら、結果は非常に残念なことに、8キロ地点で関門に引っかかり、初めて「記録なし」で終わってしまいました。おかしいな?確か関門の閉じる時刻は…、終わってから落ち着いてみると、腕時計の見方を間違えていました。
 この日は結局、体力を余してしまい、これではいかんと、次の目標、順天堂戦に心を切り替えました。
 順天堂大学医学部と新潟大学医学部とは、今回で60回目の、節目の定期戦となります。昨年は東京、今年は新潟、というふうに交互に行き来しながら、60年も続いてきたという伝統ある定期戦で、私だけが、どちらの大学の卒業でもないのに、なぜか毎年、出場させていただいてます。

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写真⑥ 写真⑦

 会場は、これまた因縁の?新潟市陸上競技場です(写真⑥⑦)。ロードレース大会の時の天候とは違い、薄曇りで、ラグビーを行うには絶好のコンディションです。

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写真⑧ 写真⑨ 写真⑩

 何と言っても天然芝のグラウンドですので、試合以外で芝を傷めないよう、細心の注意が必要です。スパイク(写真⑧)を履いてトラックを横切ることは許されません。靴下のままで(写真⑨)トラック脇のスペースでスパイクを履いて、写真⑩にある緑のカーペットの上だけはスパイクが許されますので、そこからグラウンドに入ります。

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写真⑪ 写真⑫

 試合の方は、若手OB中心の順天堂に縦横に走られ、スコアとしては7対62と惨敗でしたが、プレーそのものは、とても楽しく、激しく、しかも怪我のない、ある意味理想的なラグビーの醍醐味が味わえました。そして何と言いましても、終わった後の懇親会(アフターファンクション)はまた格別でした(写真⑪⑫)。
 来年は、順天堂大学のホーム、東京方面での開催です。さらに今年度は、2年に1回の「全国ドクターズ・ラグビー」が新潟で開催される予定でもあります。順天堂には今年の雪辱を果たすべく来年に向けて、また、既に今年のドクターズ・ラグビーに向けた準備としても、怪我をしにくい身体づくりに引き続き精を出さなければ、と気持ちを新たにしました。
 暑くなる前に、糸魚川へ歩きに行きたいものだなと、つれづれ考えているところです。

「ヤマゴンブログ16-06」 糸魚川大火から1か月

2017年1月25日水曜日 by 管理者
1月22日のデータ  体重108.5kg  腹囲102.0cm

 今年最初のブログの更新です。昨年暮れに、かつて過ごしたことのある糸魚川で大規模な火災がありました。早いものでそれから1か月が経ちました。ここ何年か、県外で新年を迎えていたのですが、今年はほとんど自宅で年末年始を過ごしたこともあり、年明けの1月2日、糸魚川へ行ってまいりました。

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写真① 写真②

 写真①は国道148号線の陸橋から眺める糸魚川の街の風景です。後方に美しい山々の姿が見えます。駅前には、糸魚川のシンボルとも言うべき「奴奈川姫」(ぬながわひめ)が、新幹線糸魚川駅の駅舎を背にして立っています(写真②)。ここまでは、とりたてて普段と変わりません。しかし、駅近くの火災現場周辺はやはり大変な状況で、言葉にするのは難しいと感じました。それは昔住んだことのある人間としての感傷のようなものかもしれません。実際に被災した方々の気持ちには、簡単に踏み込むわけにいかないものです。焼け跡の写真とかそういったものは、多くのニュースや新聞記事で取り上げられていますので、今回はあえて載せません。

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写真③ 写真④ 写真⑤

 火災の影響が大きかった雁木通りは、別名「ありがたや通り」という名称が地図に載っているのですが、地元ではあまりそう呼ぶ人は見かけません。この名称は糸魚川の「八福神」(七福神プラス奴奈川姫)に関係があるのではないかと思います。写真③はその一人、大黒さまです。後ろの壁のところまで火が回ってきたようで、向かって右の柱は焦げ付いていますが、大黒さまは「無事だったよ」と笑っているようです。奴奈川姫(写真④)、恵比寿さま(写真⑤)も、みんな元気そうでした!!

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写真⑥ 写真⑦ 写真⑧

 さて、上の3枚は、いずれも昔の写真です。写真⑥のあたりの建物はすっかり焼けてしまっていました。写真⑦と⑧は、これも今回焼けてしまった酒蔵の写真で、ブログ2010-16で糸魚川を訪れた際、撮影したものです。その時のブログでは食べ物の話題が中心で、酒蔵見学のことは触れませんでしたが、当日、蔵の中までご案内いただき、丁寧に説明をいただきました。復興に向け、頑張ってください。

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写真⑨ 写真⑩ 写真⑪

 再び本年1月2日に戻ります。街中を歩いていると、焼けてしまったものと思っていたお菓子屋さんがお店を開いていました(写真⑨)。こちらのお店は、3年前に現在の場所に移転し、このたびの被災を免れたとのことです。ここのお菓子のファンであるヤマゴンも、ほっと一安心でした。ついつい買い過ぎて、食べ過ぎないように気を付けなければいけません…。
 1か月が経ち、落ち着いたようにも見えますが、むしろ大変なのはこれからかもしれません。どのような災害の場合でもそうですが、私たちにできることは、どういうことがあるのか、ということを、日々考えていきたいと思います。奴奈川姫の力も借りて(写真⑩)、エールを送ります。「がんばろう糸魚川!!負けるな糸魚川!!」(写真⑪)


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