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健康ビジネス連峰政策 「健康・福祉・医療」のニーズに対応する新潟県産業のイノベーション

Dr.ヤマゴンの「歩いて、食べて、“しっかり”」メタボ解消

 医師でありながら、メタボリックシンドロームの「疑い濃厚」と自ら認めるDr.ヤマゴンこと新潟県福祉保健部副部長 山﨑 理(やまざきおさむ)が、「体重、ウエストを2ケタにする!」という目標を掲げ、平成19年9月より自身の取組をブログに綴って参りました。
 今後も引き続きメタボ解消を目指し取り組んでいきます。
「しっかり歩いて、しっかり食べる。」これを楽しく続けることに重点を置き、様々なテーマ、切り口でお送りいたします。ご期待ください!

Dr.ヤマゴン
〔キャラクター制作〕
日本アニメ・マンガ専門学校
コミックイラスト科 川瀬雅奈未さん
Data of "Yamagon"
身長:180.0cm  体重:108.4kg ウエスト:101.0cm
(H30.7.1現在)
モットー
無理せず、ほどほどに。日常の小さな心がけの積み重ねでメタボリックシンドロームは解消できる。継続することが大事。
心がけること
“快食・快眠・快便”のリズムを作る。そのために、
  1. よく噛んで食べる(一口30回)
  2. ヨーグルトと果物を食べる(毎日1回朝食後)
  3. 汗をかく(ラグビーをする、歩く)
  4. 残業しない(家で夕食を食べたいから)
  5. 無理しない(あまり「禁欲的」になり過ぎない)
継続目標
体重、ウエストを2ケタ(体重99.9kg、ウエスト99cm)にする。

※新潟県のメタボリックシンドロームに関するページはこちら!→健康にいがた21

「ヤマゴンブログ18-02」異常気象

2018年8月31日金曜日 by 管理者
8月26日のデータ  体重109.3kg  腹囲101.0cm

 暑い(;´Д`)。この言葉を何度となくつぶやきながら、心底、冷房のありがたさを感じて、夏を過ごしてきました。34年前、1994(平成6)年も、ものすごく暑い夏だったのですが、お盆には涼しくなったと記憶しています。
 1994年の春に、ロータリー財団のご支援をいただき、アメリカのテキサス州に行かせていただきました。向こうの4月はこちらの7月というぐらい、暑いのは当たり前で、さぞかし日本に帰ったら涼しいだろうと期待していたところ、5月ですでに36度の猛暑日だった、ということを思い出しました。
 今年は台風によるフェーン現象で気温が上がり、お盆になっても涼しくならないどころか、他県では気温40度超えのところが出て、そのあと新潟県でも・・・。しかし、台風の雨は不思議と新潟県に近づいてくれません。何日も雨が降らなかったおかげで、各地で渇水対策を講じる必要が出てきました。


    写真①         写真②         写真③
 写真①~③は、上越の正善寺ダムです。撮影した日付は8月1日で、まだダムの水量は十分ありましたが、このまま日照りが続いた場合、お盆過ぎには取水制限をしなければならなくなる、という状況でした。実は、ヤマゴンは今年の4月から、上越保健所長を兼務しているのです。この話はまた別の機会に。


    写真④         写真⑤         写真⑥
 さて、8月11日(土)・12日(日)に、柏崎で「安定ヨウ素剤一斉配布」(写真④~⑥)の医師業務に従事しました。原子力発電所からおおむね5km以内の範囲にお住まいの方々に、いざという時に服用する安定ヨウ素剤を配る、というものです。細かく言えば、3年前に配ってある薬を、期限切れになる前に交換するための場です。
 会場内は涼しく、この日だけは外も涼しい気候でした。しかし、椅子に長い時間座っていると、坐骨神経の締め付け感がじわじわ出てきました。そういえば最近、暑さを口実にして、運動してなかったな、ということを思い出しました。
 ということで、お盆休みの間は歩こうと心に決めた、…のですが、前述のとおりお盆もすごく暑く、歩くことがかろうじてできたのは、夜遅い時間になりました。

    写真⑦         写真⑧         写真⑨
 写真⑦~⑨は、おなじみ「やすらぎ堤」、信濃川左岸の河口近くです。夜でも明るく、かなり蒸し暑いのにもかかわらず、大勢の人が歩いています。⑦は歴史博物館、⑧は萬代橋で、⑨は萬代橋と柳都大橋の間ぐらいでしょうか。とても綺麗な夜景であるはずなのですが、なにせ夜になっても蒸し暑く、かいた汗が目に入ったりで、夜景を楽しむどころではありませんでした。
 9月になれば、天候もコンディションもよくなって、コンスタントに歩けると信じたい!というのが期待というか、願いです。そして、今年最初のラグビーの試合に間に合うよう、身体をつくりたいものです

「ヤマゴンブログ18-01」 今年度は静かに始動

2018年7月4日水曜日 by 管理者
7月1日のデータ  体重108.4kg  腹囲101.0cm

 「ヤマゴンブログはもう終わったの?」「いえ、まだです。」「そう、最近更新されてないみたいだからさ…」
 昨年度の最初も、このような感じで始まり、それでも5月には更新していたのですが、今年度は更に遅く、気がつくと、よりによって、もう7月です。これじゃあ、冒頭のような会話になっても仕方ありませんね。

 
      写真①             写真②

 ヤマゴンブログは終わってないのですが、5月に、私の愛車(写真①②)が終わってしまいました。高速道路を走っている最中に、エンジンが寿命?だったのか、オーバーヒートを起こしてしまい、一度止まったら二度とエンジンは始動しませんでした。
 これ、普通であればマズイ写真なのだと思いますけど、この時は緊急事態で、ロードサービスに連絡し、ハザードランプを点滅させ、もうじき来るという搬送車を待っているところで、しかし、ただの故障ではないと感じており、これが見納めと覚悟して、写真に収めました。もちろん、後続車に気を付けて、運転席側でなく、助手席側から降りて、です。
 何よりも、けがをしなくてよかったね、と、様々な方がおっしゃいます。が、不思議なことに、そう不安な感じにはなりませんでした。人間に例えると「老衰」のような感じで、徐々に、徐々に、スピードが落ちて、そして、エンジンがストップし、あとは勢いでゆっくりと路肩に停止することができました。
 写真の場所は高速道路のあるインターの降り口付近です。よくこんなところで止まってくれた、正しく言えば、よくおかしなところで止まらないで、インター降り口近くまで走ってくれた、と表現すべきでしょうか。通算13年間、25万キロもの距離を、頑張って走ってくれた車に感謝です。
 振り返ると、ヤマゴンブログも、丸10年以上になります。その間、ぐでぐで、だらだらと、…いや、決して本人はそのつもりではないのですけれど、体重や腹囲の数値は下がったり上がったりで、結局あまり変わってないという状態を、どう考えているのか!!…うーん、まあ、しょうがないじゃないですか(苦笑)。
 今年度、4月に、新潟県知事の交代という話(これはデカイ話でした)がありまして、そこから6月までは、今年度はどうしようか?と考えていました。このブログは「健康ビジネス連峰構想」(のちに「健康ビジネス連峰政策」)の一環で始まったんだよな、てことは、これって、2代前の知事の政策の話!?なわけで、そろそろ…。
 そうは言いましても、昨年来の坐骨神経痛の後遺症、これを何とかしないといけません。車の方は終わってしまいましたが(関係ないか)、ヤマゴンブログをこのままで終わるわけにはいかない。というより、この後遺症を乗り切らないと、“寄る年波”に寄り切られてしまう。ただごとではない、と、勝手に思い込んでいる次第です。
 もう全く「痛み」はないのですが、右足の第一指の付け根のあたりに「締め付けられる感じ」や「靴下に穴があいている感じ」があって、一進一退というか、無くなってくれません。それでも4月以降、ウォーキングを、1回に10kmから15km、これを週1回ペースでやってきておりました。やってみてわかったのは、筋肉の衰えが想像以上であったということです。特に体幹部、つまり腰から背中にかけての衰えにより、正しい姿勢を保ちながら長時間歩くことが、以前は楽にできたのに、できなくなっているということを自覚しました。
 加えて、太ももや尻の筋肉も落ちています。こうなれば、原点に帰って、筋肉を鍛え直すしかないと考え、スクワットを開始しました。幸い自宅には、以前、丈夫なカバンに入れて肩からぶら下げて歩いたダンベルがあります。10kgのダンベル2つで、計20kg。若く元気な時は、「この程度のダンベルは、腕や肩の運動にはなるけれど、下半身の運動に使うには重さが足りない」などとほざいてましたが、悲しいことに、今の身体に対しては、ウェイトトレーニングとして十分な負荷となります。
 今年はロードレースにも、ラグビーの順天堂戦にも出ていません。また、糸魚川の自転車道もまだ歩いていません。「まだ」というのは、歩こうという気持ちはあるものの、暑くなってしまって…、さらに、今年の夏はまた、暑くなりそうです。ということで、オーバーヒートしないよう、静かにエンジンを始動し、じっくり身体を作り直します。

「ヤマゴンブログ17-06」 やりなおし

2018年3月27日火曜日 by 管理者
3月24日のデータ  体重110.6kg  腹囲101.0cm
 
写真①

 今ごろこれは何だ?と言われそうですが、写真①は正月に作ったお雑煮です。明けましておめでとうございます、と書くべき年明け最初の更新が、年度末になってしまいました。
 今年度は6回…、平均すると2か月に1回しか更新できなかったことになります。いつもこの時期になると、同じような反省ばかりです。進歩がないどころか、どんどん後退していると。しかも体重が元に戻ってしまった。けれど運動は全くできていない、…ということは、この体重増は何だろう???ということです。→答:水か脂肪、あるいは両方ですね。
 昨年秋から患っていた坐骨神経痛は、ようやく改善しました。薬はもう飲んでいません。現在悩ましいのは、右足のふくらはぎから先、足の親指の付け根にかけて、“締め付けられる感”が少し残っていることですが、あの「嫌な」痛み、しびれは消えました。この“締め付けられる感”の原因は、わかっています。筋肉が落ちたことです。

 自分では、はっきりと筋肉が落ちたのがわかります。大臀筋(だいでんきん;お尻の、注射をうつところの筋肉)だけでなく、梨状筋(りじょうきん;椅子に座る時に座面と接するあたりの筋肉)が“痩せて”しまい、座っているだけで“締め付けられる感”が強まります。ですので、長い時間座ったままでいないように、時折、立ち上がってスクワットをしたりしています。(図は前回同様、パソコンで手書きをした絵なので、解剖学的に正しくない部分があってもお許しください。)

写真② 写真③ 写真④

 振り返ってみると、11月、12月の一番症状がひどかった時にも、何だかんだと言いながら身体は動かしていました。12月の大雪の時には、雪よけを毎日やりましたし、年明けも、元日から県庁周辺を歩きました。写真②はその時撮影したものです。ものすごくいい天気ですね。さらに翌週の3連休には、10kmの距離を約2時間で歩くことができ、順調に回復していると感じていましたが、1月中旬からの大雪(写真③④)で、気持ちがめげてしまい、気がつくと3月も終わりに近づいていました。ということで、2か月以上、きちんとした運動をしていなかったのです。
 落ちた筋肉を取り戻すには、運動するしかありません。しかし、急激な運動はよくない。そもそも、ずっと動いていなかったに等しいので、動きたくとも動けない、そんな状態で、まずはウォーキングから再開しました。が、…やはり歩けませんでした。頑張って1時間とちょっとぐらいが限界で、これ以上やっていると正しい姿勢が保てなくなる感じが強くなったので、ゆっくりクールダウンしながら10分程度。すっかり衰えました。
 というわけで、これは本当にただごとではありません。実は今回のタイトルをどうしようかと、いろいろ考えました。「再起を賭ける」、相撲取りじゃあるまいし…、「復活」、今までも使ったことがあったけれど、今回はかなり違う、などなど考えながら、「やりなおし」と決めたのは、こうした経過を踏まえてのことです。
 まあ、焦らず、力み過ぎず、ほどほどにやるのがモットーでしたので、少しずつやっていきます。目標は4月下旬のラグビー順天堂戦です(!?)。そのあとは糸魚川の自転車道ですかね。ランニングはまだ先だな。

「ヤマゴンブログ17-05」 坐骨神経痛との戦い

2017年12月27日水曜日 by 管理者
12月18日健康診断時測定 体重106.9kg  腹囲101.0cm
2017_05_01
写真

 ヤマゴンは約15年ぶりに坐骨(ざこつ)神経痛を発症しました。写真は10月下旬に全国衛生部長会があった鹿児島県鹿児島市、桜島の風景です。この桜島の噴煙のように痛みが、と表現するのが正しいのかどうか…、しかし、いったいどうしたんだよ?と。体重も、ここのところだいたい110キロで推移していたのがいきなり3キロも減り、見るからにスマートになって。いや、これは、単に筋肉が落ちただけ(笑)。
 秋に入り、いろいろなことがありました。あんなこと、こんなこと、ブログに書けそうな話がいくつもいくつも…、と思っていましたが、それどころではなくなってしまいました。10月中旬には、これまた久しぶりの「県庁チーム」を編成してラグビーの試合をやって…。
 ここまで書くと、みんな「ああ、ラグビーのせいで」とおっしゃるかもしれません。しかし、単純にそういうことではないのです。確かに、このたびのラグビーの試合後、全身の筋肉痛は出ました。しかしそれはほぼ数日で解消し、むしろその後は元気に動くことができていました。問題はそのさらに後の過ごし方なのでしょう。
 宿泊を伴う出張が続いて、一つには、肩からカバンを下げて歩くことが多かったということは自覚しています。ふだん、通勤時はリュックサックで、身体の両側に比較的均等に重さがかかるようにしているのですが、出張用のカバンは結構書類やパソコンなどで重くなっていて、しかも片方に重さがかかってしまいます。
 もう一つ、出張先で宿泊する場合、基本的には洋室・ベッドです。そのベッドのマットレスの硬さも問題です。私の場合、ふだん寝ているのは和室・ふとんですので、やわらかいベッドに一晩寝ただけで、背中から腰に違和感が残ります。
 おそらく、こうしたことが重なって、15年前の“古傷”を悪化させたのではなかろうかと。では、その“古傷”というのはどういうものか、原因はもうわかっています。…やはり、ラグビーかなと(苦笑)。長年、ラグビーをやって、背骨、特に腰椎にはかなりの負担がかかっていました。若いうちは筋肉を鍛えて、何とかカバーできていたのが、それができなくなってきた。そうしたことを考えると、ラグビーに全く原因がないとは言えませんが、それは、このたびの試合のせいというより、年齢とともに腰の周辺の筋肉が弱ってきたことにあるのではないかと思っています。

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図1 図2

 図1は、腰椎を横から見た模式図です。(パソコンで手書きをした絵なので、解剖学的に正しくない部分があってもお許しください。)坐骨神経は、図1の中でみると、第4腰椎(L4)と第5腰椎(L5)のあたりから骨盤の中に向かって出ている神経で、どうやらこのあたりに問題がありそうです。
 もともと、第4腰椎と第5腰椎の間、第5腰椎と仙骨(S1)の間に、椎間板ヘルニアがある(図1の赤い丸)ことは、かかりつけの整形外科の先生から指摘されていました。しかし今回、MRIを撮影し、ヘルニア自体は15年前とほとんど変化はないということも確認しましたので、考えられることは、周囲の筋肉が弱っているところに、出張などで疲労が重なったことで痛みが出たのではないか、ということでした。
 神経というのは厄介で、一度刺激を受けて痛むと、しばらくは、それより小さい刺激でも痛みが起こり、しかもそれが長い間続きます。身体を起こして、座っているだけでも、重力がかかりますので、慢性的に刺激が続くわけです。
 図2は、坐骨神経の走行を模式化したものです。これだけだとわかりにくいですが、お尻の筋肉の中から太ももの中(裏側に近い)を通って、足の先まで走っています。なお、厳密には膝のあたりから下は神経の名前が変わりますが、ここではまとめて坐骨神経と表現します。
 痛みは、右の腰のあたりから始まり、足の付け根全体に広がりました。ひどい時には、椅子に座ることもままなりませんでした。さらに、横になったり、仰向けになることも、できない時期がありました。そうした時期には、ひじ掛けのある椅子の上でうとうとしながら眠っては痛みで目覚め、という繰り返しでした。

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図3 図4

 椅子も、やわらかければよいというものではありません。模式的に描くと、図3は座面が硬い椅子、図4はやわらかい椅子だと思ってご覧ください。やわらかい椅子の方が、接する面が多く、しかも、どういう方向に力がかかるのかが読めないので、むしろ痛みが増すことが多かったという感じです。比較的硬めの椅子で、タオルを右の尻の下に挟むなどして調節し、何とか乗り切ってきました。
 周囲の人に話をすると、意外に同じ症状でお困りの方が多いこともわかりました。県庁内もそうですし、出張に行った先で会った人、会議で隣に座った人、など、やはり、私の姿勢の悪さで、おわかりになるようで、「私も坐骨神経痛で悩んでるんですよ」と、声をかけていただきます。
 現在は、足首から足先にかけて、締め付けられるような痛みが出たり消えたりして、痛み止めで乗り切る、という毎日です。腹筋運動を、ゆっくりと、徐々にですが、開始しました。ウォーキングには至りませんが、なんとか普通に「正しい姿勢で」歩くことができるようになりました。
 「一進一退」という感じが続いており、まだ完全に回復してはいないものの、それでも、ここまでくれば、と思いながら、また症状が少し悪化し、回復する繰り返しです。もやもやした年の暮れですが、新年はすっきり行きたいものです。年明けには元気な話題をお届けできるよう、節制(年末なので限界もありますが…)に努め、新年を迎えたいと思います。
 皆様、良いお年を。

「ヤマゴンブログ17-04」 再会、「ゴールデンウミネコ」!

2017年9月28日木曜日 by 管理者
9月24日のデータ  体重110.5kg  腹囲102.0cm

 前回の続きです。7月下旬、宮城県の秋保温泉で同級生の教授就任祝賀会に出席し、翌日、その足で女川に行きました。
 まずは女川の地域医療センター(旧;町立病院)を見よう、でも院長のS先生(同級生)はまだ祝賀会の後片付けで秋保に残ってる、まあ、病院の周辺がどんなふうになってるか、とりあえず見てみよう、という感じで立ち寄ったところ、駐車場でバッタリ…、誰?あっ!!「ゴールデンウミネコ」さんじゃあないですか!!まさに劇的な再会でした。

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写真① 写真② 写真③(2012年)

 「ゴールデンウミネコ」さんの正体は、過去のブログ(2013-08)(2014-06)でも紹介した「おちゃっこクラブ」という地域の寄り合いの場(写真①)を開いている、岡さんという方です。過去に(2013-09)紹介しましたが、画像では初登場ですね(写真②)。岡さんはちょうどこれから石巻に出かけるところだったそうで、まあ本当にグッドタイミングでした。
 そもそも「ゴールデンウミネコ」とは、女川のご当地ヒーロー「イーガー」のDVDに出てくるキャラクターの名前ですが、これは岡さん本人が扮しています。ほとんど地のままの役というか…、神様のようでもあり、宇宙人のようでもある?不思議なキャラクターです。
 岡さんは、震災が起こるまで「ダイヤモンドヘッド」(このネーミングも、まさにベンチャーズを連想させるというか…)という名前の飲み屋を開いていました。写真が残っていなくて残念ですが、レトロ風の、和洋折衷のような店内を記憶しています。このお店は津波で流されてしまいました。
 ブログ(2013-08)に平成23年1月の女川の写真を載せていますが、ちょうど、その写真を撮影した日の前の晩、ダイヤモンドヘッドへS先生と一緒に行き、そこで、「次の5月に熊谷でセブンズ(7人制ラグビー)の大会があるから、一緒に出ましょうよ」と約束をして…、そして震災が起こった!
 その時の約束は、一年後にようやく果たされました。せっかくですので、岡さんの勇姿(写真③)を紹介しましょう。長い髪をなびかせ(?)疾走する選手が岡さんで、後ろを追いかけているのはS先生です。
 震災が起こる前、女川町には小高い山の上に町立の総合運動公園があり、そこにラグビーのできるグラウンドもありました(写真④;2008年撮影)。震災後、グラウンドのところに仮設住宅が造られ、駐車場が整備されました(写真⑤;2013年撮影)。今回訪れると、さらに整備が進んで鉄筋の集合住宅になっていました(写真⑥)。なお、写真⑤と⑥のそれぞれ左端にあるカマボコ型の建物は体育館で、写真④のアングルからだと、ちょうど90度左を向いた方向に位置します。

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写真④(2008年) 写真⑤(2013年) 写真⑥

 女川町の街並みは、震災の2年後、瓦礫が片付けられ更地になった時の写真(⑦)とは全く様子が変わり、立派な駅舎(写真⑧)が造られ、駅前広場もきれいに整備されました(写真⑨)。駅のホームは、写真(⑩)ではわかりにくいですが、終点なので、線路がここまででストップしています。
 一番大きく変わったのが、線路のコース取りです。レールや枕木が津波で流された多くの箇所で、コースが変更されていました。女川駅で言えば、駅の場所は同じなのですが、以前は海沿いに線路が走り、町に入って山側に向かってカーブし終点、だったのが、今は逆に、線路が山側から海に向かってカーブして終点、となっています。

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写真⑦(2013年) 写真⑧
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写真⑨ 写真⑩

 話は前後しますが、女川に赴く途中、JR仙石線の陸前富山(りくぜんとみやま)駅と野蒜(のびる)駅に立ち寄りました。
 陸前富山駅は、松島から北へ少し行ったところの小さな駅です。2013年にはまだ線路が流されたままになっていて(写真⑪)、駅舎は閉鎖され、踏切のところに鉄板が敷かれていました。しかし、今回訪れてみたところ、ちょうど列車が到着し、乗客が大勢降りてきたところを写真に収めることができました(写真⑫⑬)。

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写真⑪(2013年) 写真⑫ 写真⑬

 野蒜駅は、陸前富山からさらに北へ行ったところで、震災の時には、列車が立ち往生して、乗客の安否が翌朝までわからずニュースにも取り上げられた駅です。2013年にはこの駅も線路が流されたままで、わずかにここが駅だったのか、という痕跡程度の建物や架線の残骸が残るだけでした(写真⑭⑮)が、今回訪れてみると、女川とは違い、以前の駅の場所ではなく、かなり山の方に入ったところに、これまた立派な駅が造られ(写真⑯~⑱)、そればかりか、新しい街が造られつつあるところでした。

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写真⑭(2013年) 写真⑮(2013年)
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写真⑯ 写真⑰ 写真⑱

 それぞれ形は違えども、着実に復興の道を歩んでいることが感じられました。一方で、野蒜の海岸周辺は、震災そして津波のために、松林や周辺の建物が何もなくなってしまって(写真⑲)、今回訪れた時もそう変わっておらず、むしろ雑草が生い茂っただけの変化を感じました。建物や道路を造るのと違い、自然環境を取り戻すことはなかなか困難です。野蒜はまさにそういう状況と思われます。なので、今回は写真を撮影せず、あえて昔の写真(⑳)を最後に載せました。野蒜海岸での地引き網の風景です。この風景をいつか取り戻したい、と、きっと皆さんが思っていることでしょう。

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写真⑲(2013年) 写真⑳(2007年)

 今回、「ゴールデンウミネコ」さんと再開できたことは本当にラッキーで、もし数分違っていれば会えなかったはずです。きっと神様のお引き合わせでしょう。お出かけ前の忙しい中であるにもかかわらず、一緒に写真に写ってくれた岡さん、シャッターを押してくださった奥様に、心から感謝申し上げます。今回は早々に失礼いたしましたが、次回訪れた時は、ゆっくりコーヒーをいただきたいと思います。


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